展覧会:「私、他者、世界、生 ―現実を超える現実―」
出展作家:OKA 川崎瞳 松平莉奈 松元悠 百合野美沙子
会期:2016年12月10日(土)~12月27日(火)、水・金は休廊、12:00~18:00 アーティストトーク&パーティ:12月11日(日)15:00~18:00
先日、絵の搬入を行いました。
今回は2点出展しています。それら2枚の絵について、こんな感じで制作していたよ、ということを今日は少し書きたいなと思います。これを読んで、展覧会を見に来ていただけたら、それ以上有難いことはありません。
何より先入観なくそれぞれの絵画を見て欲しいですし、できればトークに来ていただき対話できたら、それが一番です。
迷ったのですが、やはり制作した背景を少し話したくて(私自身が整理したくて)、断片的に、展覧会のネタバレ的をしないように、書いていこうと思います。
今回の展覧会、グループ展「私、他者、世界、生」には、大きめの絵と小さめの絵を出したのですが、大きい絵は今までどおり、私自身の心に浮かびあがる光景を描いています。
同時並行して、小品に取り組んでいたのですが、この小品は、自身では「存在」がテーマとなったかなと思います。(主題は自由だから、これは自分の中でそうかなと思っている感じ。)
職場となっている中学校で日々感じることが、ふっと現れ、色と形の力を借りて画面に出てきたよ、という感じです。
中学校では、生活するためのエネルギーの大部分を使って、自分の存在に向かい合っている生徒がたくさんいます。周囲との関わり方を大変気にかけながら、自分の存在のあり方を考えている子もます。
自分は何のために存在するのだろうか、
周囲は(世界は)自分のことをどう思っているのだろうか、
自分は必要とされているのだろうか、
様々なことに思い悩んでいます。
日々、このような生徒たちと向き合う中で、「存在」について私自身も考えることが多くなりました。
語弊があるかもしれませんが、中学校って、世の中の縮図だなあと思うことがあり(厳密にそうとは言えないと思いますが)
出身、家庭、経験、思い、性格、特性、本当に様々な人が集まっています。
その中で、生徒たちが思い悩むことって、とても生々しくて、人間の根基(根っこ)で、鮮烈だと思います。
大人への成長の過程で自分の中で処理できるようになったり、もしくは抱え込み抑えることもできるようになる思いが、あふれている場だなあと思います。
飾らない、尖がっている。だから触れるとお互い傷つく時もあるし、明確でいて答えが簡単には得られない。
大人になった私自身も実は抱えこんだままで解決できていない思い、それらがいっぱい生徒たちにもある。
中学生の悩みだから単純、稚拙なんてこと間違いで、それは一生涯かけて持っていかなきゃいけない、根本的な悩みだったり、人間としてとても尊いものであったりします。
その思いや悩みの一つが自身の「存在」で、存在するってなんなのか、なんのために?考え始めると尽きません。
絵を制作するにあたり、このような学校現場で感じる思いをもとに絵を描いていこう、と方針立てて描き始めたわけではありませんでした。
描いていくうちに自然と絵がそのような方向になっていきました。無意識なのか意識的なのかは自分でも必死で分からないのですが。
絵を描くにあたり、自死についても考えました。
というのも、自らの存在や命を燃やして、抗議や訴えを行うチベットの僧侶の死の話を知り(数年前の記事でしたが)、
身体を傷つけ、「存在」という命を晒しても、訴えたいことや知ってほしいことがあり、またそれしか手段がないということ、
これは大なり小なりはあるのですが、全国の学校現場でもあることで、存在を考える上で向き合いたいことだったからです。
小品作品は、そんな背景で描いたものです。
私が絵を描く意味は、表現者という立場から、無意識と向かい合い、表現したいと思っているからです。
そして今いる現場で、表現できること、研究できることを少しずつ、少しずつ進めています。
私にとって展覧会は、その課程で思ったことを大切に絵にして、それを見ていただく大切な機会と場所です。
時間がなく、大きな作品について、話す余力がなくなってしまいました。(文章を書き始め、もう深夜の2:30…)
見に来ていただければ幸いです。
展覧会について、関西アートストリームのページです。地図があり便利です。