2016年を写真でふり返る

2016年はいろいろあったのですが、そんないろいろを、imacの写真フォルダから引っ張ってきたお気に入り写真をもとにふり返ります。

いつとか、どことか、一切なくて写真とコメントが続きます。

来年もいろんなことがあるけれど、自分を見失わずに、体壊さずにやっていきたいですね。

 

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表面張力すごい。昔お風呂の縁で水滴どこまで大きく出来るか毎晩挑戦したのを思い出します。

 

 

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やっぱり校庭は綺麗。

 

 

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卒業式のプログラムの表紙を版から作った。完成したらどこかにいった。。。

 

 

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ご自由にお取りください。壁紙のサンプルとか。

 

 

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お世話になった国立国会デジタルコレクション。

 

 

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クリームソーダの素晴らしさを伝える写真を頑張って撮影した。

 

 

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このドレスが作りたくて、衝動買いした雑誌。ツモリチサトのスキューバダイビングドレス。

 

 

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TRANSIT中古でやすくならないかな。

 

 

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麦茶が光ってて綺麗。

 

 

 

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完成したものをそういえば見ていない。家になる予定の者たち。

 

 

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「この木なんの木気になる木の木が生えたよ。」

 

 

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作りかけです。

 

 

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丁寧に縫う。この後、中表にしたのをひっくり返すのが大変だった。

 

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川の底にあったやつ。

 

 

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キラキラ。

 

 

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オーダーしたイヤリングです。

 

 

 

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結局使わなかったスーパーボールが1kgくらいある。

 

 

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東尋坊の岩場カフェ。すごい甘い。すごく美味しい。

 

 

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昭和の有名な画家たちが描いた絵。すごい、。

 

 

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パレットばーん。

 

 

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お祈りを始めるのかと途中まで本気で思っていました。

 

 

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コーヒー!

 

 


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いただいたイーゼル。これはとても戦力になる。

 

 

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年賀状のために判子を彫ったのです。(教材も兼ねている。)

 

 

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コルク切るのが一苦労どころじゃない。ガタガタ。

 

 

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焼いたら歩き出すクッキー。

 

 
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見ているだけで焼かれていく。ありがとうございました。

 

 

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もらったポインセチアを美術室に置いていたら、寒すぎて枯れてきたので家で労わる。元気になった。

 

 

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ジャムの瓶が綺麗で何かこう、作品にできそうなような。。。。

 

 

 

ありがとうございました。良いお年を。

 

 

2016-12-31 | Posted in BlogNo Comments » 

私、他者、世界、生、無事に開催、終了致しました。

12月10日から12月27日まで行われた展示で、数多くの方とのご縁をいただくことができました。本当にありがとうございます。本日絵を搬出に行き、無事に引き取ってまいりました。

 

この12月は、ありがたい巡り合わせが多くありました。

今回のグループ展でご一緒させていただいた日本画の作家さんが制作している京都の共同スタジオには、同じく学生のころ一緒の画塾で学び今は作家さんとなって活躍されている方がいたり、

その方が、働いている古本屋さんで、1920年代のパリやウィーンを特集した本をまた別の方が入手して、人の手を通じて拝読させていただくことができたり、

美術手帖を開いたら学生の時に同じ画塾に通っている人たちが掲載されていてその制作状況を偶然にも知れたり、

まだ学生だった頃、父の背中を追って緊張しながら足を運んだギャラリーのオーナーさんと今回の展示でご縁ができたり、

院を出た当時、情けなさとか不安とか様々な思いがあって、一方的に距離を置いてしまっているお世話になった母校の、今の学生さんが展示を見に来てくださったり、

次の展示でご一緒する方が、一度難波で展示をした時ご一緒させていただいた方だったり、

…と、文字に置き換えたら少しまどろっこしいのですが、

今までの半生で一緒に過ごしたり、少しでもすれ違ってきた人たちと、もう一度会ったり、直接ではないけれど繋がりを感じたり、そんな偶然の多い月でした。

 

でもこれは偶然ではなくて、私が一度絵を離れて働き始め、3年かけて少しずつ、少しずつもう一度絵と向き合えるようになってきて、

美術(広く言えば芸術)で活動されている方がいるステージに近づいたからこそ、起こりえたものなんだと思います。

今の私は、まだまだそういった方々のいる世界とは遠いところにいて、少しずつその姿が見えたかな、という位置に立っている。

展示経験が少ない私にとって、今回のこのグループ展は、自分の絵画を熱く、また冷静に見直し、今後の展望のことを考える機会でした。

 

きっと描き続けていたら、またどこかで必ず会えるので、まだまだなこの手と頭で、描き続けていこうと思います。そんなパワーをいただきました。

 

年明けから、また制作室で一人絵と向き合う大切な時間が訪れます。

今はとりあえず手を動かしたくて、でも制作室にはいけない状況なので、絵とは違うものもまた作っています。

ものを作るのに休む時間なんていらなくて、とりあえず毎日何か作っていたい。

がんばろ。

 

 

寒い中足を運び、お忙しい中、ご来場・ご高配を賜りありがとうございました。

また、展示を企画、運営してくださったZone関係者の皆様、ありがとうございました。

 

百合野美沙子

 

 

 

和菓子すごい、美味しい。 %e5%92%8c%e8%8f%93%e5%ad%90%e3%81%8c%e7%be%8e%e5%91%b3%e3%81%97%e3%81%84

2016-12-28 | Posted in BlogNo Comments » 

展覧会のために

1950年代のフランスの古いネックレス。

植物の造形に惹かれて、買ってしまった。

ネックレスを裏返すと、真珠をつなぐピンが黒く錆びていて、こういうのがとても好き。

誰が使ったんだろう、とか考えてしまうし、よく見ると、パーツ全てが古いのではなくて、多分何回か補修されている。一部新しいパーツが使われていることから、人の手に渡り直されながら使用されていたのが分かる。

1950年代に作られたこのネックレスは、65年後、日本に渡って若手シュルレアリスム作家の展覧会で着用されると思っただろうか。そう考えると、わくわくする。


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最近古いアクセサリーが好きかもしれない。

私は年代を見ても果たしてそれが本当かわからない。だからこのネックレスも1950年代なのかはわからないけれど、気に入ったらそれでいいかなって思う。だから古いっていうことだけが惹かれる理由じゃなくて、やっぱり今にはあまり見られない造形とか、その質感とか、そういうのがとてつもなく魅力的。

今日も大阪の伊勢丹(ルクア1100)に寄って、小さなブースだけどビンテージアクセサリーがあるとこを覗いた。価格帯も本当に様々だし、手が出るところから少しずつ集めたいな。

写真のネックレスと一緒に写っている指輪は、年代不明のビンテージ(?)頂き物なので、全てが謎。

2016-12-12 | Posted in BlogNo Comments » 

グループ展について

展覧会:「私、他者、世界、生 ―現実を超える現実―」

出展作家:OKA 川崎瞳 松平莉奈 松元悠 百合野美沙子

会期:2016年12月10日(土)~12月27日(火)、水・金は休廊、12:00~18:00 アーティストトーク&パーティ:12月11日(日)15:00~18:00

 

 

先日、絵の搬入を行いました。

今回は2点出展しています。それら2枚の絵について、こんな感じで制作していたよ、ということを今日は少し書きたいなと思います。これを読んで、展覧会を見に来ていただけたら、それ以上有難いことはありません。

何より先入観なくそれぞれの絵画を見て欲しいですし、できればトークに来ていただき対話できたら、それが一番です。

迷ったのですが、やはり制作した背景を少し話したくて(私自身が整理したくて)、断片的に、展覧会のネタバレ的をしないように、書いていこうと思います。

 

今回の展覧会、グループ展「私、他者、世界、生」には、大きめの絵と小さめの絵を出したのですが、大きい絵は今までどおり、私自身の心に浮かびあがる光景を描いています。

同時並行して、小品に取り組んでいたのですが、この小品は、自身では「存在」がテーマとなったかなと思います。(主題は自由だから、これは自分の中でそうかなと思っている感じ。)

職場となっている中学校で日々感じることが、ふっと現れ、色と形の力を借りて画面に出てきたよ、という感じです。

中学校では、生活するためのエネルギーの大部分を使って、自分の存在に向かい合っている生徒がたくさんいます。周囲との関わり方を大変気にかけながら、自分の存在のあり方を考えている子もます。

自分は何のために存在するのだろうか、

周囲は(世界は)自分のことをどう思っているのだろうか、

自分は必要とされているのだろうか、

様々なことに思い悩んでいます。

日々、このような生徒たちと向き合う中で、「存在」について私自身も考えることが多くなりました。

語弊があるかもしれませんが、中学校って、世の中の縮図だなあと思うことがあり(厳密にそうとは言えないと思いますが)

出身、家庭、経験、思い、性格、特性、本当に様々な人が集まっています。

その中で、生徒たちが思い悩むことって、とても生々しくて、人間の根基(根っこ)で、鮮烈だと思います。

大人への成長の過程で自分の中で処理できるようになったり、もしくは抱え込み抑えることもできるようになる思いが、あふれている場だなあと思います。

飾らない、尖がっている。だから触れるとお互い傷つく時もあるし、明確でいて答えが簡単には得られない。

大人になった私自身も実は抱えこんだままで解決できていない思い、それらがいっぱい生徒たちにもある。

中学生の悩みだから単純、稚拙なんてこと間違いで、それは一生涯かけて持っていかなきゃいけない、根本的な悩みだったり、人間としてとても尊いものであったりします。

その思いや悩みの一つが自身の「存在」で、存在するってなんなのか、なんのために?考え始めると尽きません。

絵を制作するにあたり、このような学校現場で感じる思いをもとに絵を描いていこう、と方針立てて描き始めたわけではありませんでした。

描いていくうちに自然と絵がそのような方向になっていきました。無意識なのか意識的なのかは自分でも必死で分からないのですが。

 

 

 

絵を描くにあたり、自死についても考えました。

というのも、自らの存在や命を燃やして、抗議や訴えを行うチベットの僧侶の死の話を知り(数年前の記事でしたが)、

身体を傷つけ、「存在」という命を晒しても、訴えたいことや知ってほしいことがあり、またそれしか手段がないということ、

これは大なり小なりはあるのですが、全国の学校現場でもあることで、存在を考える上で向き合いたいことだったからです。

小品作品は、そんな背景で描いたものです。

私が絵を描く意味は、表現者という立場から、無意識と向かい合い、表現したいと思っているからです。

そして今いる現場で、表現できること、研究できることを少しずつ、少しずつ進めています。

私にとって展覧会は、その課程で思ったことを大切に絵にして、それを見ていただく大切な機会と場所です。

時間がなく、大きな作品について、話す余力がなくなってしまいました。(文章を書き始め、もう深夜の2:30…)

見に来ていただければ幸いです。

展覧会について、関西アートストリームのページです。地図があり便利です。

http://www.art-stream.jp/event/detail.html?s=MzY5Ng

2016-12-08 | Posted in BlogNo Comments »