全ては



仕事場で大きな行事が2つ終わりました。まだまだ行事は立て続けですが、周りの力を借りて、1日1日なんとかやっています。

その行事が終わるにあたり、心に残っていることがあります。

「すべてのものは、誰かの仕事でできている」という言葉です。

本当にそうだなあと思いました。
服の縫製、付けられたボタン、顔を洗うタオル、マニキュアのラベル、頭上のライト、昨日受け取った郵便物、カーテン、室外機、キーボード、ベッドの枠、白いシーツ、駅の階段、教室の木の扉、電車のアナウンス、今夜食べるトマト、お米、今座ってる椅子、ピアノ、楽譜、すべて、自分以外の誰かの仕事があるから、私が、そして周囲の人と享受できる。

自分一人では成り立たないし、私はどれだけの人の仕事に包まれているか、それを受けて生きていることを自覚しているか、考えさせられました。

自分は一人で生きているって人がいるけれど、それは絶対違うと思う。誰かの仕事で今日の自分が在ったことをもっと謙虚に受け止めないと、人はどんどんわがままに、自分勝手になってしまうし、成長できない。そういう人は綺麗じゃないと思う。

 

そして、誰かの仕事は、もっと突き詰めれば、「自然」という大きなものから、いろんな材料を借りて行われている。

服に使われる綿、ボタンに使われる貝殻、紙の繊維、木材、食物、物質の元となる元素、すべては自然の中から、人がそれらを加工して、作り替えている。だから誰かに謙虚になるだけでなくて、自然にもっと感謝して生きないといけないと思う。自然災害も最近多い。だからと言って自然を支配して、全部人間下にコントロールしようとしたって、それでは皺寄せが来てしまう、どこかに。

 

こんなことを考えながら、自然から借りてきた「鉱石」で最近まで制作を行っていました。

採掘された状態のままだと大きいので、手作業で割ったり加工をするのがとても楽しい。

割ったところの画像を載せたいのですが、今日はとても眠たいのでおやすみなさい。

 

また画像を載せます。

10/15載せました。石を砕いてみているところ。

力を加えてみないと、どう砕けるかわからない。そしてやり直しがきかない。一つ一つを大切に。

粉々になった砂も、樹脂に封入したり、画材にします。大きな原石は装飾品へ。

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2016-10-13 | Posted in BlogNo Comments »